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川鰭市郎先生をホストに、東京女子医大元教授の仁志田博司先生と公開対談をして頂きました。
まさに珠玉の文言が輝いています。

 

お二人の同意を得て、全文を掲載致します。

はじめに〜こころの研究会について〜(1/4)

 

(川鰭先生)

というわけでみなさんよくご存じの仁志田先生にご登場いただいています。1か月くらい前に浦安でお目にかかって以来ですかね。まぁみなさんもうご存じでしょうけど、仁志田先生はもちろん(東京)女子医大のNICUを立ち上げてこられた先生ですし、もちろんその中にはいろんな、のちのちハンディキャップになっていった子供たちとのおつきあいもたくさんやってこられている。仁志田先生にはここまでお越しいただいていますのでいろんなことをお話ししていきたいのですけれども。

まずですね、“岐阜のこころの研究会”ってですね。今まで、周産期のこととなると必ず僕が首つっこんでますよ。私なしでこれだけ動いちゃう。すごい時代になったなと思って。

僕が最初先生にお目にかかったころは髭もなかったですし髪の毛も黒かったです。仁志田先生は黒髪を7:3にわけてましたからね。まぁ、四半世紀くらいでいろんな変化があったわけですけれども。こういう会はどうですか、先生。

 

(仁志田先生)

ほんとにですね、まずはこの会ができたこと。都竹さんの話。いろんなたくさんのポイントを説明されましたね。あれだけでも1日続けられるくらいのすばらしい特別講演だったですけれども。

まずはこの企画すごいですね。ぼくは実はですね、勝手におしかけてきたんです。1000円払って(笑)。それはですね、僕自身が川鰭先生ほどなんにでも首つっこむわけではないですけれども、僕もあちこち今この世界だったらなんにでも興味あるんですけれども。1番はですね。若い先生方がですね、こういう会をつくるということは、都竹さんのお話がありましたようにこころがないと絶対できないですね、そのこころにエールを送りにきたんです。

 

(川鰭先生)

ありがとうございます。

ほんと、この会を発足にするにあたって精神保健のところにうちの高橋たちが乗り込んでいくんですけれども、日本母性衛生学会とかそういう場所っていうのはですね、産科医がいかにひどいことをしているかをみんなで糾弾する場所だったですからね。そこへのりこんでいくってのはなかなか勇気があることなんですけど、まあ非常にみなさんからうけいれていただいて岐阜でこういうことを立ち上げるって流れになったんですけれども。

20年くらい前だったかな。(東京)女子医大の先生のところに遊びに行かせていただいて そのあとずーっと夜遅くまで一緒に飲んだのも楽しい思い出なんですけれども、すごく印象に残っているのはですね。お店に行く途中に、(東京)女子医を出てからね。道を歩いていたら仁志田先生がなぜか突然ぱっと走って行かれて一人の男性とお話しされてるんですよ。で、ひとしきり話をされて戻ってこられたら、あのー、患者さんのお父さんなんですよ。それがね、僕にとってはすごく新鮮だったんです。なんでかというと我々産科医にとってはお母さんとの接点の方が濃厚になってしまって。ともすればお父さんよりもお母さんと話をすることが多い、だけど新生児科の立場でいらっしゃるからお父さんと、しかもものすごく細かいことまでお話しされていて、お父さんもほんとにこにこ笑いながら「いつも気にかけていただいてありがとうございます」という一言を残して去って行かれたんですね。

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