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第7回 ぎふ周産期こころの研究会を終えて

 

 冬の岐阜で第7回のこころの研究会を無事終えることができました。お忙しい中ご参加くださいました皆様に感謝申し上げます。私ごとではありますが、この1月に長良医療センター産科から岐阜県総合医療センターの胎児診療科立ち上げに携わることになり職場を移動しました。4月から専門医チームも全員が移動し、バタバタではありますが新たな門出をしたところです。

 さて今回は、「パパだって周産期」というテーマを掲げました。長年温めていたテーマです。おそらく周産期や子育てに携わる関係者の方々は常にこのテーマが気になっていたのではないかと想像します。我々もそうでした。現場で「父親」の居場所、を常に模索しています。事務局meetingでは男性の立場で「いつ自分が父親になった、と自覚したか」という素朴な質問が飛び出したりしていました。ちなみに自分は、長女が生まれた瞬間、なんとも言えない「覚悟」が心のそこから湧いてきたのを覚えています。もう、後戻りできない、それは人生、仕事も含めてなんでしょうが、そんな感情であったように思います。

最近は厚労省の少子化対策としてイクメンのキャンペーンがなされてきています。父親の役割を「お母さんを手助けする労働力」という考え方です。この考え方も大事で、子育てのストレスがあまりにも大きなお母さんは時として虐待まで進んでしまうことは知られています。しかし我々はそのようなものだけではない、堀内先生の寄稿にあるように、家族における「父性」の役割、という本質的な議論に少しでも近づきたい、という思いで今回の会を作っていきました。

 家族の誕生を支える周産期の現場から、父親の居場所、というのは一体どういうところなのでしょうか。澤田先生はウィニコットの言葉から「赤ちゃんをholding(ほっとした雰囲気で包み込む)するのはお母さん、お父さんは赤ちゃんをholdingしているお母さんをholdingする」と言っている、と教えてくださいました。昔は必ずしも直接子育てをすることばかりが父親の役割とは考えられていなかったのは我々の頭に染み込んでいる常識ですね。今は働き方改革、というキーワードがありますが、以前は社会でとことん働き家計を支える、という大きな役割が父親像でした。そんな父親たちは、実際の育児、という現場に行きますとなかなか不器用な存在、位置付けになりますね。また出産をまじかに控えたご夫婦であればご主人の居場所がなかなかないのが今の現場です。基調講演をしてくださった加部先生はそんな歯がゆい立ち位置を自分の経験からおもしろ可笑しく話してくださいました。お子さんが作文に「お父さんの仕事は当直です。」と書かれたくだりは大笑いしました。またお子さんがおじいちゃんに「(パパはいつもいないから)パパになって」と話されたエピソードは、少し切なくもありました。一生懸命赤ちゃんを助けることに時間を費やしておられた先生が自宅ではそのような存在感だったのです。こんなエピソードはおそらく多くのお父さんに共感を得られることでしょう。振り返ると自分にもぴったり当てはまっています。夫婦共々子育てに負担感を感じないようにしていくことが大切だというメッセージもいただきました。また、育児は“育自”という言葉も印象的でした。子育てをしながら、自分も育っていく、いい言葉でpositiveな本研究会には素敵なメッセージでした。

周産期の現場ではリスクの高い早産や疾患を持った赤ちゃんを迎えるご家族があとを絶ちません。そんなご家族に対して、基調講演をしてくださった別所晶子先生は「赤ちゃんが突然NICUに入院することになれば、お父さんも怒りや悲しみや苦しみを 感じないはずはありません。」という考え方の元、お母さんと赤ちゃんを守ることに専心して自分の気持ちを抱え込みがちなお父さんに焦点を当てられました。自分のこころの内を話してもらうための心理士としての工夫をいくつかご紹介くださいました。チャンスがあればお父さんだけの面談もあるときっとお父さんもストレスを吐き出せるのでしょう。今回、ご自分の経験でトリソミー18の娘さんを失った山本剛さんが寄稿してくださいました(抄録参照)。そこにも期せずして、「パパだから、男(夫)だから、我慢しなくてはいけない。」「娘も頑張っているから、パパも・・・」といった言葉が綴られています。我々は彼の苦しんできた経験に耳を傾ける機会をいただけました。本当に勇気を奮ってこの文章を書いてくださったことに感謝申し上げます。別所さんのように医療者側がパパにもアプローチを心がけ、一人でも多くのお父さんの内なる思いを解放させてあげる必要性がクローズアップされ、繋がったように思います。

 澤田先生はその寄稿のまとめとして「父は、母の妊娠に積極的に参加すること、出生後は子育てに積極的に参加し、母を温かく支えることで、父母は安定した親になれ、子どもは安定し、すくすくと育つ。父の母に対する支えの基本はテクニック、言 語的コミュニケーションではなく、それとなく温かく支え、温かく包み込んでゆく、間主観性、情緒応答性。holdingの世界である。」と結んでくださっています。

 市郎の部屋では川鰭先生と石田ちはるさんとの掛け合い漫才のようなお話がとても楽しく、いつまでもお聞きしていたい雰囲気でした。かつてお産の現場は汚らわしいものであり、男子禁制的な雰囲気があったそうで、今の時代ではあまり考えられないことですね。昔々、の日本ではお産の時に父親の役割は「産湯を沸かす火を焚く」のが仕事だったそうです。驚きましたが「こんにちは赤ちゃん」という名曲の歌詞は最初は「私がパパよ」だったそうですね。初めて知りました。この歌詞で流行っていたらもう少し日本のパパは器用に子育てに参画できていたでしょうか!

 

 緒川の語りのコーナーでは、我が子を救命するために大阪からはるばるファックスをして我々の病院を受診されたご家族のストーリーが語られました。今でも救命がなかなか難しいポッター症候群の赤ちゃんをなんとか救命したいというお父さんに焦点を当ててその悩み、葛藤、ストレスなどお子さんの病と向かう父親の赤裸々な姿が語られました。その中には治療がうまくいかない時に、病院への不信感を感じるシーンも綴られていましたが今回はあえてそこも公開させていただきました。闘い、悩み、落ち込み、そして喜ぶお父さんの真の姿を描くことができたと思っています。

 

 グループワークでもとてもたくさんの意見が交わされました。やはり普段から臨床現場でお父さんと接し、悩んでいるプロフェッショナルの集まりはすごいパワーをお持ちでした。今回のテーマは皆がアプローチしたかったけれどもなかなかできなかったテーマでした。そういう意味で、現状のお父さんの立ち位置に戸惑っているというご意見をまずは確認するというシーンが多くみられたように思います。あるグループでは、あまりの居場所のなさにお父さんもいたわってあげなければ、というような優しいご意見も飛び交っていました(笑)。

 

もちろんこの一回で終わるテーマではありませんので、回を重ねてパパの存在場所を探って参りたいと考えています。

 

 最後になりましたが、この研究会の後、ゲストで来てくださった石田ちはるさんが病に倒れられました。今は闘病、リハビリ生活をされています。あんなに素敵なお話をしてくださり、またグループワークでも若い世代に多くのメッセージを下さった石田さん。もっともっとお話をお聞きしたいので、早く健康が回復されることをお祈りしています。

 

次回のテーマはペリネイタルロスです。

それではまた11月にぎふでお会いしましょう。          

 

                   台風で増水した長良川を心配しつつ

                             高橋雄一郎

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